「忌部」歴史交流の軌跡

「忌部」歴史交流の軌跡


「阿波から安房へのメッセージ」忌部交流会

2004年(平成16年)3月27日(土)
・記念すべき第1回交流会。千葉県館山市の「安房神社」の関係者、地元郷土史家、市観光協会や 、千葉県庁の職員等が、ボランティアで忌部交流会実行委員会を組織して実現した。当日は忌部の歴史に興味をもつ地元の方々約80名が会場に訪れ、質問や意見を交換し、阿波忌部が房総半島に渡来して以来、初めて忌部交流の幕があけた。

●場  所:県立たてやま野鳥の森・多目的ホール(千葉県館山市大神宮)
●講  師:阿波歴史民族研究会 林 博章
●主  催:忌部交流会実行委員会 参加者:約80名 実行委員長 鈴木 薫


「阿波から安房へ渡った阿波忌部」21世紀新忌部交流会

2005年(平成17年)1月29日(土)
・今から約1700年前、吉野川流域一帯には、阿波を拓いた阿波忌部族が住んでいました。『古語拾遺』や『安房国の伝承』によると、神武天皇の命を受けた天富命と阿波忌部族は、黒潮ルートで房総半島へ到達、以後、関東一円を開拓していきました。その阿波忌部の末裔が勝浦市におり、84代目の吉野さんは伝承を今に引き継いでいます。当日は吉野さんが来県します。そこで忘れ去られた祖先の記憶を呼び起こしましょう。そして、新たな阿波と安房との交流を模索していきましょう。

●場  所:山川公民館3F大会議室(吉野川市山川町翁喜台)
●主  催:阿波歴史民族研究会・NPO法人元気やまかわネットワーク
●参 加 者:230名
●内  容

~ 記念講演 ~
・「勝浦市に伝わる阿波忌部伝承」
 阿波忌部末裔84代目 吉野 愛
・「阿波から安房に渡った阿波忌部」
 阿波歴史民族研究会 林 博章  



~ パネルディスカッション ~
◆コーディネーター
 阿波歴史民族研究会 林 博章
◆パネラー 
・阿波忌部末裔84代目 吉野 愛(千葉県勝浦市)
・「遠見岬神社」宮司 小林 崇周(千葉県勝浦市)
 阿波忌部末裔
・千葉県商工労働部参事 岩瀬 正夫(千葉県千葉市)
・千葉から阿波へ出戻った忌部末裔
 櫟原 章雄(千葉県千葉市)
・忌部神社総代会 吉田 幸治(吉野川市山川町)
・忌部神社総代会 下田 幸一(吉野川市山川町)
・勝浦町役場産業振興課 国清 一治(勝浦郡勝浦町)


「第1回全国忌部サミット」阿波忌部が拓く~古と未来への架橋~

●はじめに:『古語拾遺』には、天富命が天日鷲命の孫を率いて肥饒地を求めて阿波国に渡来し、榖・麻の種を植えたが故に麻殖郡と名付けられた。」とあり、吉野川市の前身である麻植郡の名称は、阿波忌部が植えた麻に由来するものです。吉野川市山川町忌部山には「忌部神社」が祀られ、市内全域に阿波忌部に纏わる伝承地や史跡が今もなお数多く残されています。また、徳島県の旧国名である「阿波」も阿波忌部に由来しています。ヤマト王権の成立にも大きな役目を果たしたと見られる阿波忌部は、吉野川を出発し、黒潮ルートで房総半島に渡り、関東一円を開拓していきました。その足跡は伝承によれば、伊勢・讃岐・出雲・石見など全国に及び、榖・麻・農業・織物・陶芸・音楽などを伝えた産業技術集団及び海洋民として伝えられています。

2005年(平成17年)6月25日~26日
・全国の忌部氏ゆかりの者が、阿波忌部の里・吉野川市に集い、第1回全国忌部サミットを開催。このサミットは、忌部氏が現在に伝えるものから学び、意見交換や交流を通して、①共有の誇るべき地域資源として、②個性的で魅力ある地域づくり・産業の振興に活かし、③未来に向けた新たな文化の創出を発信することを目的とします。

●場  所:講演会-吉野川市アメニティセンター大ホール(吉野川市山川町翁喜台)
交流会・宿泊-ふいご温泉、こうつの里
現地研修-忌部史跡巡り(集合-吉野川市アメニティセンター)
●主  催:全国忌部サミット実行委員会
●共  催:NPO法人 元気やまかわネットワーク・阿波歴史民族研究会
●後  援:徳島県・吉野川市・とくしま県民プラザなど
●協  賛:吉野川市商工会議所・川島町商工会・美郷商工会・美郷物産館・高越連
ふいご温泉・㈶阿波和紙伝統産業会館・社会福祉法人 博友会・こうつの里
●参 加 者:講演会 約700名、交流会 約100名、現地交流 約100名


    オープニング アミンダのオカリナ演奏


<プログラム>
 6月25日(土)吉野川市アメニティセンター  13:00~17:00


  三木信夫氏の記念講演  

記念講演
「阿波忌部の役割と大嘗祭における麁服貢進」
 国重文三木家当主 三木 信夫(阿波忌部直系)
研究発表
「阿波から全国各地にはばたいた阿波忌部」
 阿波歴史民族研究会 林 博章



  シンポジウムの様子  
シンポジウム 「忌部未来交流に向けて」
◆コーディネーター
 阿波歴史民族研究会 林 博章
◆アドバイザー
 山川の文化財を守る会代表 阿部 保夫
◆パネリスト    
 ・忌部神社別当東福寺住職 沖田 定信
 ・阿波スピンドル株式会社 会長 木村 悟
 ・忌部郷土研究会(松江市) 今岡 春男
 ・千葉県商工労働部参事  岩瀬 正夫
 ・杉山神社総代(横浜市茅ヶ崎) 岸 快山

6月26日(日) 忌部ツアー 8:20~12:00
・受 付:吉野川市アメニティセンター
・「忌部神社」摂社「岩戸神社」(山川町岩戸)     ガイド-阿部 保夫
・「山崎忌部神社」 (山川町忌部山)         ガイド-吉田 浩幸
・「青樹社」(山川町忌部山)             ガイド-吉田 浩幸
・「忌部神社」摂社の式内社「天村雲神社」(山川町流) ガイド-下田 幸一
・「山崎八幡神社」(山川町宮島)           ガイド-下田 幸一
・「芳川 顕正の生家」(山川町川田)         ガイド-阿部 保夫


  山川町岩戸の「忌部神社」摂社の「岩戸神社」の視察  


  山川町忌部山の「忌部神社」の視察  



「阿波から安房へ渡った阿波忌部」阿波と安房の交流会

2005年(平成17年)8月28日
・阿波忌部は、阿波国(徳島県)を根拠地とし、麻や穀を植え、天富命と吉野川を出発、
黒潮ルートで房総半島に渡来し、関東一円を開拓していきました。今回、関東(東国)
進出の第一歩となった記念すべき上陸地「館山」の地に、阿波徳島から阿波忌部に縁深き方々が訪問します。古の記憶が、いよいよ館山・安房神社で甦ります。
●場  所:安房神社内「公民館」(千葉県館山市大神宮)
●主  催:忌部交流会実行委員会 
●参 加 者:200名  
●後  援:館山市・館山市教育委員会

 歓迎演奏はYaeさん  
●内  容
・阿波忌部末裔あいさつ
 阿波忌部直系 国重要文化財 三木家当主 三木 信夫
・記念講演
「阿波から安房へ渡った阿波忌部~そして関東全域の開拓へ~」 阿波歴史民族研究会 林 博章
・来賓あいさつ  館山市長 辻田 実
・メッセージ披露 
NPO法人元気やまかわネットワーク世話人 大森 光男


●忌部交流会実行委員会の委員長は、館山市相浜「楫取神社」氏子である鈴木馨氏が担当。
当日は、勝浦市から自動車で移動し、南房総市白浜町「下立松原神社」、
館山市「神余」「神戸」「布良崎神社」「楫取神社」「洲宮神社」「安房神社」「忌部塚」
を、実行委員会メンバーの方々に案内していただいた後、午後から忌部交流会に臨んだ。
交流会は、予想を遥かに上回る来場者があり、大盛況の中でイベントが終了した。
阿波忌部族が房総半島へ渡来後、その過去の業績を称えるために、その末裔が正式訪問するのは、
実に約1700年ぶりのことであると考えられ、開拓した先人に、感謝の意が捧げられた。


  扇風機を回しながら講演を聴く観客  


 あいさつを述べる三木信夫氏 



「阿波から安房へ渡った阿波忌部」21世紀新忌部交流会
 ~館山市の『ふるさと副読本』に登場する阿波忌部の渡来と関東調査報告~

2006年(平成18年)1月28日(土)
・今から1700年以上前、吉野川流域一帯には、徳島県を開拓した阿波忌部族が住んでいました。『古語拾遺』や『千葉県の神社伝承』によると、神武天皇の時代、東国開拓の命を受けた天富命と阿波忌部の一部は、吉野川河口付近を出発、紀伊水道から黒潮ルートに乗って房総半島に到達、以後、関東一円を開拓していきました。今回は、千葉県館山市で『ふるさと学習副読本(館山市教育委員会編集)』に阿波忌部の渡来を入れた山口 孝さんをお招きしてお話を伺います。同時に、昨年度8月に実施した、阿波忌部の関東開拓に関する最新調査報告を行います。当日は、吉野川市における「ふるさと学習副読本」の制作や、今後の阿波と安房(千葉県)との交流事業の方向性を、皆さんと一緒に考えたいと思います。

●場  所:山川公民館3F大会議室(吉野川市山川町翁喜台)
●主  催:阿波歴史民族研究会・NPO法人元気やまかわネットワーク
●参 加 者:200名
●協  賛:とくしま県民プラザ
●後  援:吉野川市
●内  容
Ⅰ.調査報告『阿波忌部の関東開拓に関する調査報告』
NPO法人元気やまかわネットワーク世話人 大森 光男
Ⅱ.調査報告『阿波忌部の関東開拓と丹後国海部との密接な関係』
阿波歴史民族研究会 林  博 章
Ⅲ.基調講演 講師-山口 孝
(館山市役所港湾観光部観光立市推進課・体験交流センター主査)
『ふるさと学習副読本の編纂と今後の交流事業の展開』



吉野川市合併3周年記念事業 吉野川市と阿波忌部

平成19年(2007年)10月6日(土)・7日(日)

 川島町の岩の鼻から吉野川や阿波忌部拓いた粟島(善入寺島)、忌部山・高越山・種穂山を眺める 

開催趣旨
・807年に斎部広成が記した『古語拾遺』には、阿波忌部が麻・穀を植えて阿波国を開拓し、麻を植えた土地は麻植郡と名付けられたとあります。その阿波忌部の足跡は、近年の調査によると、関東一円並びに讃岐・石見・出雲・丹後・河内・大和・伊勢・三河・遠江・伊豆などに及び、麻・穀・農業・織物・製紙・音楽などを伝えた産業技術集団・海洋民として日本各地に伝えられています。吉野川市の旧名は麻植郡であり、山川町には「忌部神社」があるように、阿波忌部の大きな根拠地の1つでもあり、市内には100ヶ所以上「阿波忌部」ゆかりの地名や史跡が残されています。そこで、平成19年(2007年)、吉野川市発足3周年の記念イベントとして、この旧町村で共有する「阿波忌部」という地域資源を取り上げることにより、合併後の住民の一体感を図り、「阿波忌部」を基軸・キーワードとした相互交流が、新たな観光・産業・地域・文化・教育の振興という展開を生み出し、ひいては地域活性化を図ることを目的として本事業を開催します。

実行委員長あいさつ
・平成16年10月1日、平成の大合併、徳島県第1号として麻植郡4町村(鴨島町・川島町・山川町・美郷村)が合併、吉野川市が誕生し、3年が経過しました。さて、麻植郡の生い立ちを紐解きますと、807年に斎部広成が記した『古語拾遺』には、「阿波忌部が麻・穀を植えて阿波国を開拓し、麻を植えた土地は麻植郡と名付けられた」とされています。本市内にも「阿波忌部」ゆかりの地名や史跡が100ヶ所以上残されています。このたび、合併3周年を迎えるにあたり、この旧町村で共有する「阿波忌部」という地域資源をテーマにした合併3周年記念事業「吉野川市と阿波忌部」を計画しました。これにより、合併後の市民の一体感をはぐくみ、「阿波忌部」を基軸・キーワードとした相互交流が、新たな観光・産業・地域・文化・教育の振興という展開を生み出し、ひいては地域活性化が図られることを期待するものです。また、本事業を契機として、市民一人ひとりが、ふるさと「吉野川市」を再認識し、誇りと希望を持つことにより、市の将来像「世代を越えて、夢紡ぐまち」に近づくことが出来ると考えます。これからも、豊かな自然環境と都市的な集積を生かしながら、市民の皆様とともに豊かさやゆとりを実感できるまちづくりをめざしてまいります。終わりに、本事業実施にあたり、実行委員会に参画いただきました委員の皆様をはじめ、御協力・御協賛を賜わりました多くの個人・団体の皆様に対しまして、心からお礼申し上げます。
平成19年10月6日 吉野川市長 川真田 哲哉 

●場 所-吉野川市鴨島公民館(吉野川市鴨島町鴨島)の他
●主 催-吉野川市合併3周年記念事業実行委員会
●参加者-全体フォーラム600名、忌部の聖地ツアー120名(バス5台)、市民劇600名  

<第1日目> 10月6日(土)
第1部 吉野川市と阿波忌部に関するフォーラム(13:00~17:00)

12:20~12:50 総合開会式プレ演奏
(吉野川市民等によるオカリナグループの歓迎・祝賀演奏)
~オカリナグループ「アミンダ」代表 森見 美子~
・県下一円にオカリナの輪を広げているアミンダの森見美子さんは、第一回全国忌部サミットでも歓迎演奏を担当した。鴨島公民館では、吉野川市民のためのオカリナ教室を担当している。美馬市木屋平の忌部ゆかりの国重要文化財三木家で、「ソラの地に捧げる音楽祭」を主催。2年連続500名を集める大イベントとなり、大好評を得ている。

13:00~13:05ほら貝による前座演奏と高越山の大天狗による開会宣言
~ほら貝の演奏-「高越山を守る会」 大森光男・杉野社司・矢本貴之・大岩房夫・脇本久雄~
・阿波富士とも称される高越山は、阿波忌部が崇拝した霊山で阿波修験道の発祥地とされ、法螺貝はその象徴的なものである。山頂には阿波忌部の祖神である天日鷲命を祀る「高越神社」があるが、神社前の大杉には伝説の「大天狗」が住むと云われ、この霊山を守っている。「高越山を守る会」では、登山道の整備をはじめ、高越山ガイドも行うと共に、8月18日の高越寺の十八山では、大勢の観光客が見守る中で護摩炊きを行っている。



高越山の大天狗役-芸能塾ONE経営 俳優 内藤 一典
・徳島市で「芸能塾ONE」を立ち挙げ、NHK徳島文化センターの講師ではドラマレッスンも担当。東京俳優時代は、「仮面ライダー」「はぐれ刑事純情派」「紅の豚」(宮崎駿)に出演。長嶋茂雄氏とも
CMで共演している。  


13:05~13:25 開会行事
・吉野川市合併3周年記念事業実行委員長あいさつ 吉野川市長 川真田 哲哉
・その他、来賓あいさつ

13:25~13:35 吉野川市合併3周年記念「吉野川市プロモーションビデオ」の発表
・阿波忌部が開拓した吉野川市の魅力を満載したプロモーションビデオ。吉野川の写真には、三好和義氏のものを取り入れ、『吉野川の詩』、沖縄出身の3人組グループ『coi-na』の「来訪人」の曲がバックミュージックとして流れる。映像には、吉野川市のみならず、阿波忌部ゆかりの旧麻植郡木屋平の三木家、6月に視察に訪れた際に撮影した阿波忌部が黒潮に乗って上陸した千葉県館山市や南房総市白浜町などが入っている。吉野川市と阿波忌部の魅力を、このビデオによって全国に発信したい。

13:35~13:45 吉野川市の阿波忌部史跡紹介(スライド)「吉野川市は阿波忌部とともに」
・吉野川市における「阿波忌部の史跡」を大嘗祭の様子なども交えて約100枚のスライドで紹介する。そのスライドが映し出される中、ヒメ&ヒコの演奏が流れ、古代の雰囲気を演出した

13:45~15:00 記念講演
「日本建国と阿波忌部~麻殖郡の足跡と共に~」 
 講師:阿波歴史民族研究会 林 博 章

●著書
・日本各地を開拓した阿波忌部の足跡~安房国編~
・日本の建国と阿波忌部~麻殖郡の足跡と共に~

※吉野川市主催の「ふるさと歴史講座」も担当

記念講演の要旨
・吉野川市の前身である「麻植郡」は、807年に斎部宿禰広成が記した『古語拾遺』に阿波忌部の祖神たる天日鷲命が肥沃なる地を求め当地に来て穀や麻の種を植えたために名付けられた歴史的名称であった。その起源は、徳島市の「観音寺遺跡」の木簡から少なくとも7世紀後半にまで遡る。その阿波忌部は、吉野川流域の一帯に勢力圏を広げて開拓し、阿波国の成立に大きく関わったものと見られる。鳴門市の阿波忌部が植えたる麻に由来する大麻山や、『安房斎部系図』に拠ると天日鷲命の子に相当する大麻比古神をまつる「大麻比古神社」の存在からは、大麻山周辺域は阿波忌部の根拠地であった。縄文・弥生・古墳時代にかけた県内最大の遺跡が集中する鮎喰川西・東岸部もその根拠地と見られ、徳島市国府町の旧国府を眼前に見下ろす気延山には、忌部系の「天石門別八倉比売神社」が祀られ、阿波の吉野川流域における3大社が忌部系の式内社である点から見ても、その阿波忌部の勢力圏が察しできるのである。

・その忌部族の根拠地たる大麻山の東山麓では、2000年以降の発掘調査で、古代阿波の歴史を書き換える墳墓群の発掘成果が新聞紙上を賑わせている。それは、鳴門市大麻町萩原の日本最古の前方後円形の積石塚墳丘墓である弥生終末期(2世紀末)の「萩原2号墓」、3世紀前半の「萩原1号墓」、日本最古の竪穴式石室をもつ3世紀中頃の「西山谷2号墳」などであり、王墓たる前方後円墳の諸要素をヤマトに運ぶと共に、水銀朱・結晶片岩の石材などを搬出。まさしく阿波の祭祀・葬送儀礼が畿内やヤマトに大きな技術的影響や思想をもたらし、ヤマト王権成立の立役者となっていったと見られるのであり、これらの主体となったのが、後の阿波忌部族であったのであろう。「忌部」の「忌」は、「穢れを忌み祓い、災厄・邪霊・穢れを祓う」との意味があり、ヤマト王権の成立後、氏姓制度が整備された後に、その基本的性格から「忌部」と名付けられ、ヤマト王権祭祀集団に組み込まれたと見られるのであり、元来は「忌」=「斎」=「イ」族であったのかもしれない。 

・その阿波忌部族は伝承学的にいえば、ヤマト政権の成立直前である3~4世紀に、全国各地へ進出して、麻・穀を植えるとともに、農業・養蚕・織物・製紙・音楽・製紙などを伝えた祭祀族であり、海洋民であり、産業技術集団であった。そして、ヤマト王権成立の立役者ともなったと見られる。また、記紀神話で云えば、神武天皇の重臣的役割や東征を助けた金鵄の重責を果たし、後に大和・伊勢・阿波国造となるとともに、一部は中央忌部となったと見られる。考古学的には鳴門市大麻山一帯の古墳群が主要なものであるが、全国各地の伝承を調べれば、繋がる祭祀遺跡や伝承地は、旧麻植郡・美馬郡に集中する。考古学的遺跡は鳴門市・徳島市、伝承地は旧麻植郡なのである。その伝承地の中心は山川町の種穂山や「種穂忌部神社」であり、天日鷲命が天磐船に乗り高天原から携えてきた麻・穀・粟・五穀の種をもって降臨したと伝わっている。その「種穂忌部神社」からは、阿波忌部の主要農業生産基盤であったと見られる粟島(善入寺島)や吉野川下流域、萩原墳墓群や大麻山などが一望できる。山川町村雲の式内社「天村雲神社」や「藤岡神社」の存在は、天皇の神器製造や伊勢、伊勢神宮、丹後国の進出との関係が指摘できる。川島町の二つ森に残される「三輪山式説話」、式内社「伊加々志神社」、鴨島町「御所神社」は、三輪山の麓で政務を執った10代崇神天皇の治世と密接に繋がる。山川町「忌部神社」の摂社「岩戸神社」の祭神である忌部の祖神「天太玉命」の御魂は、大和や安房・讃岐・山城(京都)に運ばれている。

・奈良時代の麻植郡には、忌部長者であった忌部宿禰須美が従五位上を賜わるとともに、25名の上層階級忌部が居住していた。須美は、中央忌部と同等、阿波国司よりも位階が高く、天皇に謁見が許された殿上人で、中央政務にも携わっていたと見られる。平安時代初期の『新抄格勅符抄』所収「神事諸家封戸大同元年牒」(806年)には、「忌部神 廿戸 紀伊十戸、出雲十戸 」とあり、中央忌部の没落にも関わらず、「麻植忌部」が古代の勢力を引き続き保持しており、麻植郡の「忌部神社」に奉祀する神戸が出雲や紀伊に10戸ずつ居たことが窺える。~途中省略~。

・このような古代史に大きな金字塔を打ち立てた阿波忌部の大きな拠点の一つであった麻植郡は、吉野川市にその名称を移行することになったが、その市民を一体化するキーワードは、この誇るべき「忌部」であり、それを市民の文化・歴史の誇りとして共有する基盤から、今後の地域振興に繋げてゆく必要性がある。市民の意識がこれらの根っこに繋がる時、大きな発展と繁栄が生まれると思うのである。

15:00~15:15
・アトラクション「阿波踊り」
 きらく連(吉野川市)


15:15~16:30
吉野川市と阿波忌部を語る未来シンポジウム

コーディネーター
・林 博章

パネラー
・阿波スピンドル株式会社 会長 木村 悟
・吉野川市鴨島公民館長 岡田 年弘
・阿波忌部直系・三木家当主 三木 信夫
・安房忌部交流会実行委員長 鈴木 馨
・加森観光㈱ 東京営業二部 部長 岩瀬 正夫


パネラーの紹介 
●「阿波忌部が伝えたスピンドル技術と地域貢献」 阿波スピンドル株式会社 会長 木村 悟(山川町)
 
1.麁服貢進に関わった忌部の氏子--大正・昭和における国家事業として麁服貢進が進められた時代と全く違った国内情勢の中で、「天皇家の祭祀」として貢進事業に取り組んだ忌部の氏子の伝統に対する意識について。
2.忌部神社正蹟考の復刻版について--昭和17年発刊された池上徳平氏が「忌部神社正蹟考」復刻版に併せて、平成の麁服貢進事業の概要「山崎忌部神社と麁服貢進」を編集し発行することにより、重要な伝統文化を将来に継承するためのお役に立てればとの思い。
3.阿波忌部と地域産業--麻布を集めるための藍が平安期の時代に栽培されていたこと。天日鷲命が紙の始祖として各地の紙の産地で祀られ、川田村は古代より和紙の産地とされている。穀・麻と共に、蚕・桑が栽培され養蚕につながっていた。忌部の織物技術が継承されたと思われる「山崎かすり」、又織物技術に必要な鍛冶業は、忌部の鍛冶集団が「拝原東遺跡」で確認されている。

●「ふるさと阿波忌部の歴史を伝える市民教育」 吉野川市鴨島公民館長 岡田 年弘(鴨島町)

1.ふるさと再発見・ふるさと教育へ環境整備の充実――阿波忌部は、市民の心に誇りと生きる力を、合併した市民の心を一つにまとめるものである。
(1)国作りに活躍した阿波忌部の存在を広め高め啓発する鴨島公民館の取り組みを紹介。(2)公民館活動外に期待する取り組み提案。[社会科副読本の作成と忌部の記述・統合後の分庁舎の活用と歴史資料館など5つの提案]
2.阿波忌部をキーワードにしたまちの活性化への提案――地域の商業・観光開発の礎として心豊かに生きる事業開発を考える。(1)今、鴨島公民館で取り組んでいること。(人の流れを作ることとまちおこしなど。)(2)市・企業・まちおこしリーダーによる頭脳チームづくりと商品開発。[キャラクターからブランドマークまで・心くすぐる忌部ゆかりの土産品・観光、見学、体験ツアー・ネーミングの工夫(奇抜、ニーズ)]
3.その他、文化財保護の立場で史跡説明看板や地域住民への協力・支援の働きかけ。

●「阿波忌部の歴史と伝統を未来へ」 阿波忌部直系・三木家当主 三木 信夫(美馬市木屋平)

・阿波忌部(狭義には麻植忌部)氏は、上古より天皇が即位後に一世一代の大嘗祭(だいじょうさい)にのみ使用する麁妙神服(あらたえかむみそ)=(麻布)と、大嘗祭式用の由加物を調進する事になっていましたが、由加物は後に簡略化されました。しかし、麁服は、大嘗(おおみにえ)の年には、その都度、朝廷から阿波国司に「官宣旨」(かんせんじ)を、国政を統括する太政官からは「太政官符」(だじょうかんぷ)が下され、御衣御殿人(みぞみあらかんど)の忌部氏に麁服御衣を織らしめ、御殿人は神祇官から下向する「麁服御衣使」(あらたえのみぞつかい)の勅使に麁服を進上した後、勅使と共に京師へ同行します。麁服調進は、大正時代に復活するまで577年間中断しましたが、その後、昭和・平成へと受け継がれ、伝統文化の火を消すことなく、次の世代に継承するためにも、郷土の原点である阿波忌部の寛容の精神やフロンティア精神、更に先進性に触れて、郷土の歴史を次の世代に語り伝えることが肝要です。

●「阿波忌部を基軸とする黒潮交流を~阿波から安房へ~」
安房忌部交流会実行委員長 鈴木 馨(千葉県館山市相浜)

・2000年ほど昔の話です。斎部広成の古語拾遺によると、天富命は四国の忌部の人達と千葉県旧安房郡富崎村に上陸し、祖父の天太玉命をまつって安房神社としました。そして、祖母をまつったのが洲宮・洲崎神社です。安房は、四国の阿波からきていますし、富崎は天富命にちなんだものです。同行した天由布津主命が祖父の天日鷲命をまつったのが下立松原神社などです。そして、忌部の人達は稲作や麻を植えるなど関東一帯の開墾・開拓に協力・努力しました。この大移住は、珍彦らの協力があったから成功したのです。珍彦は、神武天皇が大和で即位した際、紀伊半島をまわっての水先案内を勤めた海のベテランです。女・子供をまじえての海路ですから、途中食糧や水の補給、夜や時化の際の非難場所などを熟知していたのです。安房の上陸地点は厳しい荒磯です。静岡・神奈川県によりよい海岸があったはずです。この地を選んだのは、素晴らしい所だという情報が伝わっていたからと考えます。なお、珍彦は、楫取神社としてまつられています。

●「阿波忌部を中核に据えた観光事業の創造」
加森観光株式会社 東京営業二部 部長(JTB首都圏) 岩瀬 正夫 

・観光地づくりの目的とその効果の主な例として、①優れた地域の環境や文化を通じて地域の価値を高め続けることにあります。②その価値ある土地に人々が訪れる事により様々なサービス提供の必要性から経済振興に貢献し続けることにあります。まさに観光の語源に「国の光を観る」事と即ち、観て学び役に立てる。また、国の光を示す。と明確に易経は教えております。林先生の研究の成果により先人阿波忌部の功績が明確に見えてきました。阿波忌部は自らの役目から来る、紙や布作りをはじめとした当時の先端文化を阿波のみに留めず、その旺盛な開拓魂を持って、全国に広めていきました。『古語拾遺』の通り特に房総半島への進出影響が顕著です。しかし、ここにも留まらず更に関東へと。又紀伊半島、伊豆半島へも。一方、山陰、北陸への影響も判明しつつあるようです。この旺盛な開拓魂とその進出先での文化の足跡は、その地域の秀でた、あらゆる文化の源流として今に伝えていると思われます。その様な光をその地域の人々が今一度目を向けこれを知る事により、新たな誇り、アイデンティティが生ずる事になればまさに観光地づくりの火種となり力強い様々な動き即ち、事業が興り得るはずです。観光は光の試食です。観光は志の高さが勝負です。忌部の足跡を通じ、この吉野川市から徳島県の観光力が強化され、ごぼう抜きに順位を上げてほしいと思っております。観光の魅力と創造、その可能性は、自らが見出し、磨き、大志を抱いて次世代に美田を残す意気込みと実践こそが決める事と確信しております。

<第2日目> 10月7日(日)
第2部 阿波忌部の聖地を巡るツアー(9:00~15:00)

~阿波忌部をコンセプトとする新観光事業の創造と発信~
●ヤマトの建国に大きな役割を果たしたとされる阿波忌部に関係する史跡をバスと徒歩で探訪します
●参加費 1.500円(昼食代・保険料込)

<ツアーのルートと日程>

8:30~ 吉野川市鴨島公民館に集合・出欠確認
9:00~ 出発
9:10~9:30 鴨島町牛島「麻宮」(牛島八幡神社)
9:35~9:50 鴨島町牛島「杉尾神社」
9:55~10:00 バス内から鴨島町市瀬から向麻山を見る
10:20~10:45 山川町村雲「天村雲神社」
11:00~12:00 JR山瀬駅~徒歩で忌部山山麓の史跡を見ながら忌部神社へ向かいます。
「山瀬駅」→「忌部の市」跡→「忌部の矢宮」→「山崎八幡神社」→「忌部の矢磨石」
→「忌部の摩羅石」→「忌部神社の馬場」→「忌部神社の祓川」→「忌部神社」着 12:00
12:00~12:50 「忌部神社」で昼食・古代演奏のアトラクション。今上(平成)天皇の大嘗祭に使用された麁服製作の機織道具等の見学。
13:00~13:20 山川町岩戸「岩戸神社と麻笥石祭祀遺跡」
13:40~14:20 川島町川島「川島神社と岩の鼻から吉野川と粟島を眺望」
14:40~15:00 鴨島公民館に到着・解散

・史跡説明 林 博章(阿波歴史民族研究会)
・バスガイド-次の5名がローテーションで回ります。
●林 博章(阿波歴史民族研究会)/●ヒメ&ヒコ(忌部楽団)
●三木信夫(阿波忌部直系・三木家当主)/●吉田幸治(山川町の文化財を守る会)

<ツアーで辿る史跡紹介>

【1】麻宮(牛島八幡神社)-鴨島町牛島
・『麻植郡郷土誌』によると、「郷社八幡神社 往古麻宮と称し、後大宮と公称す。麻殖神を祭りし大社なりと云ふ。同村小字神の壇に小祠あり忌部神社を祀る。」とあり、元来は「麻宮」と呼ばれ、麻殖神を祀る大社「忌部神社」であったとも伝えられています。


【2】杉尾神社-鴨島町牛島
・『延喜式』神名帳にある麻植郡8座の1つ「天水沼間比古神天水塞比売神社」に比定される古社で、阿波忌部の東国進出や、千葉県の「麻賀多神社」や茨城県の「鹿島神宮」の創建にも関わっているものと見られます。「天水」を冠する神社は、麻植郡のみに祀られています。


【3】向麻山-鴨島町麻植塚
・阿波忌部ゆかりの小山で、麓には、かつて阿波忌部が麻を精製していたとされる麻搗石・麻晒石がありました。また、向麻山の北麓を流れる飯尾川は、「麻漬」・「麻漬の口」とも呼ばれていました。向麻山の北東には、市瀬の地名がありますが、これは、阿波忌部の麻の市が開かれていた名残であると伝わっています。山頂には、竜眼神社・御嶽神社が祀られ、向麻山公園が整備されています。


【4】川島神社-川島町川島
・「川島神社は、阿波忌部の祖神である天日鷲命を祀る神社で、その元社は粟島(善入寺島)にかつてあり、「浮島宮」と呼ばれていました。「川島神社」では、10月22日の例大祭に県下では稀な「七十五膳の神事」が行われます。旧暦の6月30日の夏祭りには、「無病息災」を願う『輪抜けの神事』が行われます。


【5】岩の鼻-川島町川島
・「川島神社」の西端にある本丸跡の断崖は「岩の鼻」と呼ばれ、そこからは、忌部の聖地「粟島」や吉野川の雄大な眺め、高越山をも見渡せる遥拝できる阿波の名勝ともよぶべき絶景となっています。同志社大学教授・森浩一氏は、当地の付近に古代「忌部の園」があったと説明しています。また、付近からは「川島銅鐸」が出土しています。


【6】式内社「天村雲神社」-山川町村雲
・川田川西岸の式内社「天村雲神社」は、旧記に「往古忌部の氏人が創始した。」とあり、祭神の「天叢雲神」は、天皇の神璽の一つ「草薙剣」を神格化した神名と見られ、「忌部神社」の神官家の一つ「村雲」があることからも、阿波忌部と天村雲神、ヤマト王権の成立との密接な関係をうかがうことができます。



     ツアーで賑わう「天村雲神社」の境内 


【7】山崎八幡神社-山川町宮島
・「山崎八幡神社」は、『続日本紀』にある従5位上を賜わった殿上人である「忌部宿禰須美」が、忌部山の白山から下山して住居を定めた屋敷跡であったと伝えられ、明治11年(1878年)には、国幣中社忌部神社の摂社ともなりました。境内や付近には「忌部の矢磨石」「須美祠」「忌部の矢宮」「忌部の市跡」「忌部の摩羅石」などの忌部史跡が点在しています。



   ツアーで賑わう「山崎八幡神社」の境内   


【8】岩戸神社-山川町岩戸
・忌部神社の7摂社の一つである「岩戸神社は、「天太玉命」とその子「天石門別命」の2神を祭神とする神社で、千葉県の「安房神社」の祭神は、当社より運ばれたとも推定されます。境内には、麻笥岩・麻晒岩の巨石や、麻晒池、建美神社などがあります。



      麻晒岩の側で演奏するヒメ&ヒコ   


【9】岩戸磐座遺跡-山川町岩戸
・「岩戸神社」境内西端の巨石は、麻笥岩(オゴケ)と呼ばれ、その上には直径約30㎝の穴が穿たれ、「延命水」とも呼ばれ、その水をつけると皮膚病が治ると伝えられ、土御門上皇もこの水で病を癒されたと云われています。この麻笥岩は、忌部の大神が天降った御石、南側にある池は、麻晒しの池であり、神代忌部が神麻を晒した聖なる場所であったと伝えられています。


【10】山崎忌部神社(天日鷲社)山川町忌部山
・『延喜式』神名帳の「麻植郡」条にある名神大社「忌部神社」に比定される古社で、天日鷲命(天日鷲翔矢命)を主祭神としています。古代より「忌部神」として朝廷からの崇敬が篤く、屋島源平合戦の折、源義経は、戦中安全のために太刀一振りを奉納したと云われています。文治3年(1187年)には、阿波民部成 能が板東・板西・阿波・三好の4ヵ所内に田畑一千町を寄付、永禄3年(1560年)には管領細川讃岐守も田畑一千町を当社に寄付しました。



      境内に人があふれる「忌部神社」  


<第2日目> 10月7日(日)
第3部 吉野川コレクション(16:00~17:30)

~阿波忌部をコンセプトとする産業・文化の創造と発信~
●演 題:吉野川市民による野外創作劇 『月の運ぶ過去と日輪が運ぶ未来~吉野川の四季を謳う女神~』
●会場・舞台:吉野川市鴨島公民館前の広場〔特設ステージ〕

・阿波忌部のふるさと吉野川市の歴史と文化を知り、誇り高く、高らかに、命の讃歌を響きわたらせるドラマテックな舞台が、10月7日の夕刻、鴨島公民館前の特設ステージに出現する。それは、吉野川市民が捧げる過去から未来へと繋ぐ希望への架け橋となる。総合演出・衣装プロデュース 時広 真吾

時広 真吾・山口県生まれ。日本大学文理学部国文科卒業。ロンドン・パリコレクションの現地取材を15年間続ける。1985年にオフィス・リリックを設立。1991年にはオペラ『魔笛』の衣装デザインより創作活動を開始する。1994年は世界遺産記念『G.M.E.あおにしコンサート』でレナード衛藤の衣装デザイン(主催:ユネスコ 奈良東大寺)をプロデュースする。2005年には2月にりゅうとぴあ能楽堂、シェイクスピアシリーズ特別版「マクベス」(主催:新潟市芸術文化振興財団)、3月Dai Don Den2(主催:Green tea トロント・カナダ)コンテンポラリーダンスフェスティバル、2006年11月第21回国民文化祭やまぐち2006で下関市美術工芸展オープニングステージパフォーマンス(生命の献華)総合プロデュースなど、日本各地並びに国際的に活躍している。



●内 容:プロローグ~運ばれてきた文化の光~
・四方に向って弓をならし、舞台を清め、これから始まる舞台の守りを願う。麻を手にした男性と女性が現れ、吉野川の女神が登場する。その後、4人の四季を司る神が続き、これからはじまるパフォーマンスを祝福する。

【シーン1.春】(やってきた生命)
・春も女神(ダンサー)が春の喜びを踊り、続いて12人、あるいは4人の子どもたちがダンスを披露する。

【シーン2.夏】(郷愁)
・夏の男神(ダンサー)が、情熱の季節を踊り、ジャズメンたちを呼び込む。地元ジャズメンたちによる演奏と歌で夏の情熱を表現する。オカリナの独奏で逝く夏を惜しむ。

【シーン3.秋】(戦いと再生)
・1人が真剣で居合の型を披露する。その後、3人が型を披露する。秋の女神(ダンサー)登場と共に剣士たちが退場する。ダンサーのソロ。舞台の中心で倒れる。そこに12の吉野川の産物をもった子どもや大人が登場して、地元の踊りを披露して、秋の女神を介抱する。復活した秋の女神は、12人の子どもと大人たちと共に踊り、秋の豊な稔りを約束する。

【シーン4.冬】(歴史の贈り物)
・冬の女神(ダンサー)が踊る。尺八の演奏家を呼び込む。
クラシックの楽器を演奏するメンバーによる演奏。


【フィナーレ:永遠の絆、未来へ】
・2人の女神が現れ、鈴を鳴らしながら中心で踊り始める。その踊りに誘われるように麻布を手にした男神/女神が現れ、それぞれの季節に登場したアーティストたちが登場して円陣を組む。最後に吉野川の女神が登場して、舞台中央の鏡に光を当てるように指示します。すると、スポットライトが魔鏡を照らすと、その特別な意味をもった反射が公民館の壁に映ります。(鏡は一見普通の鏡ですが、光を当て反射するとそこには像が映る古代から魔鏡と呼ばれるものを使用します)

・やがて、松明を手にした男性に伴われて、笛の奏者達が登場。演奏をはじめて三人は舞台中心に、一人は川の方へ向う。それを合図に松明を手にした男性、麻を手にした男女、鈴を手にした女神二人が続き、船着場に板付き、吉野川の女神を招く。それに応えて女神は船着場に向かい、こちらにいる全員を祝福し姿を消す。この時に、舞台のスタッフも舞台に上がっている。残ったアーティストたちとスタッフは手を振り見送る。やがて、阿波踊りの5連が登場して吉野川合併3周年を記念した2日間のイベントを盛り上げて終わる。



<登場人物>

横  笛 三木田 未知代・岡田 祐介・阿部 博行・阿部 健三
尺  八 川真田 慶治
オカリナ 森見 美子
ジ ャ ズ 住友 義正・岡田 英晴・尾池 昌治・筒井 一哉
ジャズボーカル 阿部 康子
声  楽 小川 信子・岸田 節子・井内 恵子
弓  人 重本 美鈴
剣  士 松浦 政昭・松浦 武信・森本 武夫
居  合 吉岡 修一
バ レ エ 佐尾山 奈穂・森 瑞希・林 愛莉・神崎 麻奈(岸田真知子バレースタジオ)
シーン3 川原 真弓・青木 美和・山口 敏夫・大倉 正輝・吉田 亜希子・田中 美紀・渡辺 貴士・原田 嘉明・尾賀 光樹・尾賀 秋穂・尾賀 佳穂・武智 礼華・小村 真奈美・佐々木 真理子・川真田 文子
モ デ ル AKIKO
ダンサー 中村 香里・吉川 彩・竹野 綾・榎本 心(今中友子ダンスプラネット)
松  明 三宅 良一・高岡 伸二・松田 和也・高磯 祐介
船  頭 近藤 保・近藤 嘉和
司  会 吉野 美保
メ イ ク 篠原 えり子
世 話 役 山本 進・松島 一光・岸田 真知子・三木 毅
協力者・団体 岸田真知子バレースタジオ・鴨島少年剣道教室・吉野川市阿波踊り観光協会・徳島県埋蔵文化財センター・シルバー大学OB会22期23期24期生・オールウェイズジャズオーケストラ
舞台監督 齋藤 孝則「OLD WOODS」3周年記念事業ビデオの編集
・吉野川市プロモーションビデオの編集 「映像工房 きっと」


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