研究所の設立趣旨と目標

研究所の設立趣旨と目標

 「忌部」とは、ヤマト王権の宮廷祭祀を掌った名門氏族であったが、その本格的な研究は全くなされていない。しかしながら、林博章氏の研究による一考察で、阿波勢力(後の阿波忌部族)が、弥生後期から古墳前期(3~4世紀)にかけ、吉野川流域を中心にその勢力を展開し、海部(あまべ)と力を合わせ四国東部の阿波地域を拓き、ヤマト王権成立に大きな影響を与え、各地に麻・榖(かぢ)を植え、農業・養蚕・織物・製紙・建築・漁業・衣食住の生活文化技術や産業技術・古墳築造技術(農業土木技術)などを伝播させた技術集団、かつ祭祀集団であったことが次第に判明してきた。さらに「忌部」のルーツや農文化の源流を探究すると、汎アジア的な様相と古日本文化の源流を形成した一面をもつことが浮かびあがってきた。
 忌部の日本各地の農産業・生活文化の伝播の謎を解明するために開始された忌部の居住地となる徳島剣山系の農文化調査の成果は、2018年3月9日に「にし阿波の急傾斜地農業システム」として、国連食糧農業機関(FAO)が提唱する世界農業遺産(GIATH)に認定されるに至った。その農文化の検証からは、各地に農文化を伝播させた産業・農業技術集団たる「忌部」の姿が透けて見える。また、ユーラシア大陸や環太平洋圏からの文化流入・受容の重層構造がタイムカプセルのように残されている。その農文化の根底には、自然への畏敬、自然循環思想、自然との共生思想、深遠な生命思想が垣間見られ、それが忌部思想の底流になったことが窺える。
 そこで本研究所は、グローカル且つ多面的視点、学際的な研究姿勢で、失われた「忌部」の記憶を掘り起こすとともに、「忌部」研究の視座より、古代日本国家の成立や日本文化の源流や形成過程について探究する。さらに本研究所は、多様な学識関係者・産業従事者・専門家などの人々が奉仕・学習・交流・活動することにより、新たな徳島の新観光・産業・教育・文化事業の創出と人材育成、[徳島-日本各地-世界]との多地点・多極軸による歴史文化経済交流等により、徳島県の地域創生と日本創生の実現。ひいては地球環境問題の解決、持続可能な社会や世界平和の実現に向けた研究や提言を行うことを目的として活動する。

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