令和元年(2019年)11月 NO.11

日本忌部紀行 “忌部(INBE)を行く!”

忌部文化研究会 会長 林 博章

 会員の皆さまには「忌部」の足跡を楽しんでもらう目的で、“忌部を行く”を連載しています。阿波国(粟国)を拓き、日本各地の創生に活躍した阿波忌部の足跡を辿っていきます。中でも阿波忌部が麻を植えて拓いた故事にちなむ旧麻植郡(現在の吉野川市)の伝承地を紹介したいと思います。山川町編の第10回は「忌部の矢磨石」です。

忌部の矢磨石

●場 所 - 吉野川市山川町宮島

 「山崎八幡神社」の境内、入口鳥居のすぐ西、玉垣前の石燈籠のたもとには、高さ約110cm・幅60cm・厚さ10cmの結晶片岩製の石板状の立石が埋まっており、「忌部の矢磨石」と呼ばれている。伝承では、「忌部大神が、矢をつくり又は修理するときに鏃(やじり)を磨くために使用した。」とある。阿波忌部の祖神・天日鷲命(あめのひわしのみこと)の別称は天日鷲翔矢命(あめのひわしかけるやのみこと)で「弓矢」と密接につながっている。『大日本神名辞書』には、天日鷲命(あめのひわしのみこと)の日は「クシビ」のヒの意味を指し、「鷲は禽鳥中最も猛き鳥で、この鳥の羽は古来、矢を作るに用いられるこの神思うに弓矢を作り始めやし給う名で~」とあり、弓矢を作り始めた神であると書かれている。阿波忌部の麻(大麻)の殖産に長けていたが、弓の弦には良質の麻が用いられる。天日鷲命と弓矢が密接に結びつくのはそのためである。また、『忌部神社正蹟考』には、「~阿波国を開拓し農耕に従事せしものは、農作物を害する鳥獣を狩るにも、亦専(またもっぱ)ら弓矢を使用せしこと明らかなり。従って忌部氏がその製作に従事せしこと明らかなり~」とある。古代において弓矢は害獣を退治し、豊穣をもたらす役目を果たした。よって、弓矢と農耕は深く結びつくのである。初詣には、破魔矢(はまや)と破魔弓(はまゆみ)とが一組となり売られるが、これは魔を破り災厄を祓うためのもので、現在でも、子供の無事な成長を祈る呪具(じゅぐ)となっている。以上より、この立石は、忌部郷に降りかかる災厄や魔を祓うための石造祭祀物であったとも考えられよう。