令和2年(2020年) 4月 NO.16

日本忌部紀行 “忌部(INBE)を行く!”

忌部文化研究会 会長 林 博章

 会員の皆さまには「忌部」の足跡を楽しんでもらう目的で、“忌部を行く”を連載しています。阿波国(粟国)を拓き、日本各地の創生に活躍した阿波忌部の足跡を辿っていきます。中でも阿波忌部が麻を植えて拓いた故事にちなむ旧麻植郡(現在の吉野川市)山川町の伝承地を紹介したいと思います。山川町編の第11回は、「須美祠」です。

忌部宿禰須美を祀る「須美祠」

●場 所 - 吉野川市山川町宮島

 「山崎八幡神社」の社殿裏、麻生(あそう)家の屋敷内には、「須美祠(すみほこら)」が祀られている。『麻植郡郷土誌』には、「須美神社」と記される。『阿波志』には、「山崎村八幡祠の側にあり、蓋(けだ)し須美即ち続日本紀に所謂(いわゆる)従五位上忌部連須美(いんべのむらじすみ)是なり」とあり、この祠は「須美(すみ)」ゆかりのもので、かつて「忌部神社」の神官家であった麻生家はその末裔と考えられる。
 『続日本紀』の768年(神護景雲2年)7月14日条には、「阿波国麻殖郡人外従七位下忌部連方麻呂、従五位上忌部連須美等十一人賜姓宿禰、大初位下忌部越麻呂等十四人賜姓連」と、外従七位の忌部連方麻呂、従五位上の忌部宿禰須美、大初位下の忌部越麻呂らの名が見え、麻植郡には宿禰11人、連14人の合計25人の有力な上層忌部氏が居住していた。中でも「須美」は、従五位上を叙位され、当時全国の忌部氏の中で最高位の位階を与えられた殿上人(てんじょうびと)であった。そして、恐らくは位田8町、資人と呼ばれる下級官人が20名付き、警固や雑役に当たり、中央の政務を担当した貴族で中央忌部より高い階位をもっていた。また、当時の阿波守であった中臣常(従五位下)より地位が高かった。