令和2年(2020年) 5月 NO.23

日本忌部紀行 “忌部(INBE)を行く!”

忌部文化研究会 会長 林 博章

 会員の皆さまには「忌部」の足跡を楽しんでもらう目的で、“忌部を行く”を連載しています。阿波国(粟国)を拓き、日本各地の創生に活躍した阿波忌部の足跡を辿っていきます。阿波忌部が麻を植えて拓いた故事にちなむ旧麻植郡(現在の吉野川市)山川町の伝承地を紹介したいと思います。山川町編の第15回は「忌部の男根石」です。

忌部の男根石(性石)

●場 所 - 吉野川市山川町宮島

 「山崎八幡神社」の東約100m、道路の北側には「秋葉大明神」と刻まれた板石の傍らに高さ約40cmの注連縄が巻かれた男根を象った祭祀石(性石)が祀られている。子孫繁栄や多産を祈願する男根石(石棒など)は、徳島では縄文後期から晩期の祭祀遺物としてよく見られる。この男根石(性石)は、縄文晩期頃の遺物や、信仰が継続して伝えられ、子孫繁栄等への祈りを込め、当地の忌部族が奉ったものと考えられ、旧麻植郡を拓いた忌部族の起源を探る鍵になるかもしれない。
 『古語拾遺』の「御歳神(みとしのかみ)」条の忌部神代の古伝承には、「男茎形(おはせ)を作りて之に加へ、(是(これ)、其の心を厭(まじな)ふ所以(ゆえ)なり。)~其の畔(あ)に班(あか)ち置くべし。」とあり、このような男根石は「男茎形(おはせ)」として、広大な土地を所有している大地主(おおなぬし)の神が、稲の害虫を防ぎ豊穣をもたらすとための手段として、牛の肉とともに男根の模型を作り、疎水溝(そすいこう)の排水口に置き、稲(田)の神である御歳神(みとしのかみ)の心を慰めたのだとあり、農耕儀礼との関係において男根石が登場する。
 また、このような男根石(性石)は、古来より外部から侵入してくる邪霊や災厄を村境で防ぐ防塞の神としてしばし祀られることが多い。同様の性石は、山川町忌部山の峯石、青木、鴨島町飯尾と、旧麻植郡内に4ヶ所確認されている。