令和2年(2020年) 6月 NO.26

日本忌部紀行 “忌部(INBE)を行く!”

忌部文化研究会 会長 林 博章

 会員の皆さまには「忌部」の足跡を楽しんでもらう目的で、“忌部を行く”を連載しています。阿波国(粟国)を拓き、日本各地の創生に活躍した阿波忌部の足跡を辿っていきます。阿波忌部が麻を植えて拓いた故事にちなむ旧麻植郡(現在の吉野川市)山川町の伝承地を紹介したいと思います。山川町編の第16回は「忌部山の叢雲瀑」です。

忌部山の叢雲瀑(村雲滝)と日鷲谷

●場 所 - 吉野川市山川町忌部山

 忌部山の麓にある「忌部神社」の馬場の四つ辻を、西100mほど進み、南進した忌部山の山裾には、高さ約4mのかつての忌部山名勝「叢雲瀑(むらくもたき)」(村雲滝)がある。村雲は、忌部神社の神官家の名称となる。
 『阿波志』の“叢雲瀑(むらくもたき)”の下註には、「枇杷木谷(びわきたに)あり高さ一丈余り、下は即深なり」とある。かつては水量も相当あり、深い滝壷もあったというが、砂防工事のために水量は減り、かつての面影は失われてしまった。また、「叢雲瀑(むらくもたき)」のある谷は、「天日鷲命(あめのひわしのみこと)」にちなんで、[日鷲谷]と呼ばれている。『阿府志』には「日鷲谷在忌部祠東、古木叢生(こぼくそうせい)」とあるが、忌部神社の東に位置するのは「木綿麻谷(ゆうまだに)」である。しかし、『天日鷲宮縁起』には「天日鷲祠の西山岨に大なる谷あり日鷲谷と云う」とあることから、この滝のある場所こそが「日鷲谷」であると考えられるだろう。