令和2年(2020年) 3月 NO.12

日本忌部紀行 “忌部(INBE)を行く!”

忌部文化研究会 会長 林 博章

 会員の皆さまには「忌部」の足跡を楽しんでもらう目的で、“忌部を行く”を連載しています。阿波国(粟国)を拓き、日本各地の創生に活躍した阿波忌部の足跡を辿っていきます。中でも阿波忌部が麻を植えて拓いた故事にちなむ旧麻植郡(現在の吉野川市)の伝承地を紹介したいと思います。鴨島町編の2回目は、杉尾神社~式内社「天水沼間比古神天水塞比売神社」に比定される古社~です。

杉尾神社~式内社「天水沼間比古神天水塞比売神社」に比定される古社~

●場 所 - 吉野川市鴨島町牛島字杉尾200
●祭 神 - 天水沼間彦命(あめのみぬまひこのみこと)
天水塞姫命(あめのみずせきひめのみこと)

 吉野川市東部の鴨島町と名西郡石井町との境、飯尾川の北岸、JR牛島駅の北方約500mに祀られた「杉尾神社」は、『延喜式』神名帳に載せられた麻殖郡8座の1つ、式内社「天水沼間比古神天水塞比売神社(あめのみぬまひこのかみあめのみずせきひめかみのやしろ)」に比定される古社である。水沼間比古神は「湧く水を湛える神」の意味、水塞比売神(みずせきひめのかみ)は「長雨を塞き止める神」の意味をもち、祈雨・止雨の神と考えられている。縁起によれば、『かつてこの付近は飯尾川に接し、常に氾濫が絶えなかった。そのために水神である「水塞の神」を祀った。』とある。
 『徳島県史』は、「牛島・鴨島の付近は、吉野川中下流域において、最も島や中須が多く、古代には吉野川が形成した沖積地の中に、多くの浮島が存在した場所であり、吉野川の洪水の威力を知った人々が防御のために堤防を造った。牛島・鴨島付近はその堤防が二重になっており、市瀬(いちぜ)には監物堤(けんもつつつみ)が残っている。この例からも、土地の人々が吉野川の水に対する感謝と怖れを具現(ぐげん)した神社が杉尾神社である。」と解説する。「杉尾神社」の馬場の先には、「水沼池(みぬまいけ)」や「高志良(こしら)」と呼ぶ地があったと伝わる。『古史伝』には、「社名を杉尾と名付けしは最近にして、里人は古志良(こしら)というなり。」とある。『寛保改神社帳』には、「牛島村杉尾大明神、別当牛島村願成寺」とあり、江戸期には「杉尾大明神」と呼ばれていた。境内には、高さ25m・周囲4.4m・樹齢約300年と推定されるイチョウの御神木があり、神社の威容を際立たせている。社宝には、2つの麻桶が知られ、一方には「式内天水沼間」、もう片方には「式内天水塞」の神名が書かれ、裏に文正2年(1467年)の記銘がある。