剣山系の集落形成と農耕起源に関わる猿飼での発見!

忌部文化研究会 会長 林 博章

 つるぎ町貞光の猿飼集落は、貞光川西岸の標高約220~340m付近の急峻な東面に開けた傾斜地集落である。30度を超える急傾面に石垣段畑を設け、等高線農業やカヤを施用する伝統農業が営まれている。最上部の小丘上には、「新田神社」と約800年の樹齢の巨杉、県内有数のウラジロガシの巨樹を取り巻く社叢、隣接して薬師如来を本尊とする「猿飼堂」が祀られている。右は、30度の急斜面に展開する天空のソバ畑。多くのカメラマンが訪れる。
 その集落起源は謎に包まれているのだが、集落の某所で少なくとも縄文後期頃(約3000~4000年前)と見られる集落の祭祀に用いられる磨石が祀られているのを発見した。よって、猿飼集落の起源は、原始的焼畑農耕時代に遡る可能性が高いといえるだろう。なお、比較のため、阿南市の「加茂宮の前遺跡」で発掘された縄文中期の磨石の写真を添付しておきたい。なお、考古学専門機関の方で、視察・鑑定したい方がいれば、案内する予定。



発見された磨石

発見された磨石

阿南市の「加茂宮の前遺跡」の磨石(縄文中期)