剣山系の忌部修験道が全国放映「新日本風土記」-2日目
霊峰剣山(1,955m)は、近世における忌部修験道の行場であった。修験道者は、旧麻植郡であった木屋平村から剣山の登頂を目指した。剣神社の宮司である松村氏の紹介でメンバーが修験道を経験するという1泊2日の剣山先達修行-剣山本宮奥かけ神幸祭に参加した。まさしく「忌部文化」を体験する修行となった。その一端を通信で紹介し、忌部文化研究所が設立すれば、貴重な剣山系の「忌部文化」の意義や文化を継承するために、ツアーやガイドブック、ビデオ等を制作したいと考えている。全国の方々に応援していただきたい。なお、本行程には、この貴重な山岳文化を放映しようと企画したNHKの「新日本風土記」の撮影隊が参加した。7月28日にBSプレミアム「四国山地」で剣山系の世界農業遺産候補となる急傾斜地農業の風景・習俗(美馬郡つるぎ町)とともに全国放映された。
《5月4日(日)剣山の山頂から~帰路まで》
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山頂の宝蔵石神社を出発し、再び修験道場に向かった
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入口の「柴折神社」で剣山本宮祝詞を奏上し参拝した
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修験道は祈りの修行旅でもある
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圧倒的な聖域を雰囲気をもつ巨石を御神体とする
「古劒神社」で、祝詞を奏上し参拝した
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祠の隣に祀られた不動明王像には、般若心経を唱えた
所謂、神仏習合である
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最後の修行場となる不動の岩屋
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鍾乳石のある岩屋の底に降りて不動明王を拝む
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修行を終え、再び出発地となる富士の池へ向かう
険しい山道を六根清浄を唱えながら降りて行く
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途中は日本一の清流、穴吹川の源流がある
剣山系を守ることは、徳島の水瓶、四国の水瓶を守ることに
つながる。剣山系は、命の水を提供する源なのである
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途中で休憩する。松村宮司から、この修験道を続けていくことが
剣山の参道を守ることであることを語っていただいた
剣山は現在シカ害等で新芽が食べられ、山崩れの危機状態にある
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この修験道は、山道を整備しながらの旅路であった