徳島市国府町は、古代阿波国の中心として機能した都であった。その総鎮守であり、奈良県桜井市の大神(おおみわ)神社の元社と考えられるのが国府町府中の式内社「大御和神社」(おおみわ)である。当社は阿波国府が置かれた時代より続く歴史をもち、阿波国の鍵と国の印(国璽)を預かったが故に印鑰大明神とも呼ばれた由緒ある古社であった。
 5月初旬に突然、境内地の80%が拝殿・社殿と鎮守の森(社叢)とともに売却されるということになった報告に対し、立ち上がった氏子や崇敬会・有志が「府中の宮を守る会」を設立した。その設立にあたり、徳島や日本の歴史における「大御和神社」の意義を地元の方々に認識してもらうべく忌部文化研究会会長の林博章氏がスライド60枚でその意義を講演した。会場は「大御和神社」隣の森本家で行い、約50名の参加者が話に耳を傾けた。


 歴史の重要性はともかく、鎮守の森(社叢)や神社の存在意義が最近、日本の方々に理解されていない実情があるように思う。その意義の再認識させることが日本創生への一歩ではないだろうか。それは以下の5点である。これは講演でも説明した。


❶「社」=「モリ」が語源であり、本来神社は社叢・鎮守の森のことを指す。
❷神社とは日本のコミュニティ社会の原点である。
❸神社とは本来自然に対して感謝する場所である。
❹神社とは自然災害から地域の人々を守る場所である。
❺神社とは、地域の人々の心のよりどころであり、地域の一体感を育む場所である。

 忌部が創出したと推定される神社のシステム。神社という日本の原点を、この問題を通じて見つめ直し、地域社会のあり方を未来へ向けて再考していくことが、日本創生への道となるだろう。