忌部と海部が連携して徳島県が創生されたことは、戦前の県民歌や佐那河内中学校の校歌で謳われている。その忌部海部の連携は、ヤマト王権の成立や日本各地の農産業伝播の原点ともなった。まさしく日本の原点を見詰め未来を創るとは「忌部海部」の連携であった。その連携を復活し、再び徳島を創生させようとするプロジェクト学習会が本年より始まった。

 その2回目は、1月22日(土)15:00~17:00まで海部の根幹地となる海部郡海陽町の「NPOあったかいよう」の事務所で同NPOの主催で開催され、海陽町の主要メンバー及び県内各地より15名が参集した。講演で忌部文化研究会会長の林博章氏は、忌部と海部の連携が地域活性化の要となる。また、海部の王の鷲住王やワナサヒコを海陽町再生のテーゼとして顕彰すべきと提案した。