1月22日(土)の講演会の翌日の23日(日)、折からの雨が降りしきる中、徳島の藍染界で著名な永原レキさんの案内で海部郡海陽町の歴史文化視察を行った。その一部を紹介する。

 まず、旧宍喰町の日本三大祇園の一つ「八坂神社」を参拝した。近年、過疎化が進行し伝統行事の継承が危ぶまれている。その氏神は阿波忌部にゆかり深き脚咋別の祖・鷲住王であった。


 次に四国一の大滝となる「轟の滝」と「轟神社」を参拝した。祭神は「古事記」「日本書紀」にもある水の神・弥都波能女(みつはのめ)。弥都波能女は式内社で唯一、忌部拠点地の旧美馬郡内に祀られ、その比定社は美馬市脇町拝原の「八大龍王神社」が有力視されている。吉野川流域勢力との関係が注目される。


 次に大里の式内社「和奈佐富曾神社」を視察。祭神のワナサヒコは忌部の大麻比古神ゆかりとされ、出雲や丹後に進出した。


 次に野江の「寺山墳丘墓」を視察。3世紀代、邪馬台国時代の墳丘墓とされ、鳴門の萩原墳丘墓と密接な関係をもつ。


 最期に復興された四国最古の禅寺は曹洞宗の城満寺で鎌倉期の1291年建立とされる。


 など、まだまだ紹介したい名所が多いが、今後、海部(カイフ)地域の歴史を掘りおこす活動とともに地域振興の提言を始めてゆく予定。