美馬市穴吹町の標高500mの傾斜地集落の一角に、10年前、忌部文化研究会会長の林博章氏が、縄文後期の結晶片岩製の石棒を祀られているのを発見。それは剣山系の集落起源の歴史を書き換えるものだとして、著書に発表していた。5月1日(日)、その情報を聴いた徳島市考古資料館の方から連絡をいただき、石棒の測量を行った。その結果、やはり縄文後期(約3000年以上前)の集落のマツリに使用される貴重な遺物で、緑に混じり紅簾片岩の赤みがかかっていることも、当時の精神文化を知る上で貴重だと判定された。
 剣山系の開拓の歴史は縄文後期に遡り、その文化の一端は東日本から伝播していた。その報告の一端は、徳島市考古資料館の資料冊子に掲載される予定。