19世紀に盛行した北前船は、主に北海道の鰊粕(魚肥)や昆布を日本各地に運び、日本経済に大きな影響を与えるとともに日本文化を育んだ。阿波忌部は黒潮航路で鳴門を出発し、関東を拓いた。一方、日本海側にも進出し、数多くの痕跡を各地に残している。その忌部航路の江戸後期版が北前船である。鳴門「撫養湊」は、古代から阿波の主要港で、北前船の時代には、忌部の時代と同じく東西海運の結節点として繁栄した。特に北海道の主要商品である鰊粕(魚肥)を西日本で一番購入していてのは撫養湊であった。その魚肥は、吉野川流域の藍栽培に使用され、ジャバンブルーを生み出す原動力となった。
 現在、北前船の船主集落や寄港地が次々と日本遺産に登録されている。撫養湊なくして北前船は歴史的にも語れず、研究所では、徳島県の活性化のためにも、撫養湊の日本遺産登録に向け活動する予定にしている。





 その第一回目の学習会は、11月15日18:30~キョーエイ鳴門駅前の4階で開催され、約40名が集まった。会の運営は、鳴門センター街と忌部文化研究所との共催。講師は哲学博士の林博章氏。少しずつ鳴門の扉が開こうとしている。