家賀集落の上部、標高約450m付近の傾斜地に「児宮神社」が鎮座しています。祭神となる斎主命(いわいぬしのみこと)は、阿波忌部の祖神・天日鷲命(あめのひわしのみこと)の正統で、その御児(御子)が永久に鎮座される殿舎を造られたのが本社であると伝わっています。その斎主命(いわいぬしのみこと)の陵(みささぎ)は、当社の裏に残され、「灰塚」と呼ばれています。なお、古老の伝によると領主・麻殖因幡守(麻殖忌部大祭主・麻殖氏は忌部神社の宮司家)は当社の祭官をかね、屋敷は「児宮神社」のそばにありました。また、明応(1492~1501)・弘治(1555~1558)年間に復興の際は、領主・小笠原淡路守長定人という2名の豪族が建築したとされています。














「児宮神社」の社叢(鎮守の森)



忌部の正統・斎主命が鎮まる「灰塚」