阿波藍のシリコンバレー&Japan Blue Road 構想(徳島観光振興事業)の実現のため、阿波藍の発祥地伝承の調査を続行した。探査3回目で念願の藍神(猿田彦神)に導かれた伝説の長者の子孫を祀る神社を探りあてた。


長者の子孫を祀る「八幡神社」
伝説の長者ヶ原は、佐那河内村と勝浦町との境、勝浦町三渓の標高600m付近、南面傾斜平地にあった。また、そこで藍長者となった一族は、勝浦町の「長者神社」にかつて祀られていたが、現在は、中山の「八幡神社」に合祀され「若宮神社」の小祠になっていた。



勝浦町沼江の式内社「生夷神社」
次に、地元の情報からその藍文化を徳島にもたらした照葉樹林文化を携えた南方系海洋民の祭祀場を探す調査を行った。勝浦町沼江には、江戸期に「エビス生まれれし故に生夷と言う」と語られた式内社「生夷神社」が祀られている。その元宮と推定される古社こそが、標高530m、稼勢山山頂の「古蛭子神社」であった。地元の案内人と自動車下車より急な山道を約1時間かけてようやく山頂付近に辿り付いた。



標高530mの稼勢山を坂本から眺める


そこで目にしたのは感動的な神秘なる遺跡であった。四隅を石垣で囲って内部を聖域とし、西面に石垣囲いで内部をカミが宿る室を設置し斎き祀る神代形式の石積神殿であった。学術的には、磐境(いわさか)と呼ぶ。最近、福岡県沖合の玄界灘に浮かぶ神宿る島・沖ノ島の祭祀場が世界遺産となったが、それは岩陰祭祀、巨岩上祭祀となる。これも同じ神代の祭祀様式である。徳島で同様の遺跡は、徳島市の中津峰山頂の「三十八社」、忌部の宮人が守る美馬市の「磐境神明神社」がある。磐境神明神社は、かつてアメリカ最大の考古学雑誌ANCIENT AMERICAN に掲載していただいたことがある。この遺跡は、グローバルな観点より検証しなければならないものである。


この「古蛭子神社」は、参拝が困難なため、現在、麓となる坂本の「八幡神社」の境内に御魂が遷されている。