京都市嵯峨野のアイトワ代表の森孝之氏が来県し、世界農業遺産の認定を目指す剣山系の農文化を世界に発信する映画「ソラの集落に生きる人々」(仮)の収録を行った。場所は、つるぎ町貞光の標高約300m地点の浦山地区。つるぎ町は、忌部氏が麻や木綿(ゆう)[榖や楮で作った織物]を晒す文化があったが故に木綿麻の里(ゆうまのさと)と呼ばれた。同町を北流する貞光川は木綿麻川と呼ばれる。浦山には、カヤを施用してユズやキウイなどを栽培する古代刈敷農業が営まれている。撮影は、眼下に貞光の町並みを見下ろせる山道で行った。撮影者は、映像きっとの井上隆晴氏。森孝之氏からは、剣山系の世界に提示する意味、持続可能な社会に向けたメッセージを語っていただいた。映画は、秋には完成する予定。



貞光川河口の東岸山間部が宮内地区であり、その総氏神が「宮内神社」である。その一帯に「忌部神社」の神官家であった村雲を名乗る家が点在している。その村雲家の棚田跡に阿波藍が植えられている。阿波藍畑の中央部の小塚上には「八坂神社」の小祠が祀られている。村雲家を訪問し、話しを伺うと、藍畑下に飛雲家の墓があるという。私たちは村雲氏の案内で、茂る萱草をかき分けながら墓に辿り付いた。そこには確かに飛雲の名が刻まれていた。かつて「忌部神社」の神官家は忌部五雲と呼ばれた。それは早雲・村雲・岩雲・花雲・飛雲となる。忌部氏の主体は、雲がかかる剣山系の高地性傾斜地集落、つまりソラの世界に住んでいたので、「雲」の名前に付けたのであろう。はじめて飛雲家の所在を確認した意義は大きい。隠された歴史のベールの一端が調査ごとに明らかにされつつある。