「鳴門“撫養湊”を北前船の日本遺産へ」の鳴門市議学習会

□2024年11月15日、「東西海運の結節点、鳴門“撫養湊”を北前船の日本遺産へ」の歴史的書籍が発刊されたことを受け、鳴門市の市議の声掛けで鳴門市役所の会議室にて、市議会議員及び県議も参加して、鳴門「撫養」(むや)を文化庁の北前船の日本遺産にするための学習会が開催され、約15名が集まった。そこで環境人類学博士の林博章氏が講演を行った。
□江戸後期から明治中期にかけて盛行した北前船は、主に北海道の鰊粕(魚肥)や昆布を日本各地に運び、日本経済に大きな影響を与え、日本文化を育んだ。阿波忌部は黒潮航路で鳴門を出発し、関東を拓いた。一方、日本海側にも進出し、数多くの痕跡を各地に残した。その日本海側の忌部航路の近代版が北前船であった。鳴門「撫養湊」は、古代から阿波の主要港で、北前船の時代には、忌部の時代と同じく東西海運の結節点として繁栄した。特に北海道の主要商品である鰊粕(魚肥)を西日本で一番購入していたのは撫養湊であった。その魚肥は、吉野川流域の藍や甘藷栽培に使用され、ジャバンブルーを生み出す原動力となった。現在、北前船の船主集落や寄港地が次々と日本遺産に登録されている。撫養湊なくして北前船は語れず、今後は徳島県の活性化のためにも、撫養湊の日本遺産登録に向けた啓発活動を活発化する予定にしている。
