忌部の里“つるぎ町”未来づくりフォーラム2025
・2025年11月23日(日)、つるぎ町就業改善センターにて剣山系未来づくり実行委員会主催による忌部の里“つるぎ町”未来づくりフォーラム2025が開催され、のべ400名が集まった。
・その際、環境人類学博士(忌部文化研究会会長)の林博章氏が、記念講演「世界に誇る忌部の里“つるぎ町”へ」を行った。その講演要旨は次の通りである。
・『つるぎ町は大和朝廷の祭祀を掌った天日鷲命を祖神とする阿波忌部が、産業や祭祀の基盤となる麻・榖を当地に植え拓いたが故に「木綿麻の里」と呼ばれ、拠点地は貞光字吉良の「忌部神社」にあった。木綿(ゆう)とは榖の繊維で織った布のこと。阿波忌部は吉野川流域に勢力圏を展開し、海路で農産業を日本各地に伝播していった。『日本書紀』に阿波忌部は、榖で木綿を作る「木綿作者」と記された。『古語拾遺』では、大嘗祭と麻が強調された。吉野川市(旧麻植郡)の「忌部神社」は「麻」、つるぎ町貞光の「忌部神社」は「榖」を神紋とすることから、『日本書紀』に載せられた阿波忌部は「美馬郡」のことであったのではなかろうか。麻植郡にも美馬郡にも忌部がいた。つるぎ町における阿波忌部の足跡は、貞光は吉良の「忌部神社」、川見の「友内神社」、家賀の「児宮神社」など、一宇は中野の「下宮神社」、法正の「天磐戸神社」、古見の「五所神社」など、半田は東久保の「神宮寺」(忌部神社の「神宮寺」)、日開野の「高地三所神社」など全域に点在する。正月未明に奉納される「松尾神社」の天岩戸神楽は別名「忌部神楽」と称され、かつては一宇・貞光・半田で神楽が奏されていた。また、「廻り踊り」(繰上音頭)は別名「忌部踊り」と称され、現在でも「つるぎの里」の夏を彩る風物詩となっており、つるぎ町は「忌部の里」といっても過言ではない。


・さて、阿波忌部の日本各地の農産業文化の伝播の謎を解くため開始された剣山系の諸研究は、2018年3月に「にし阿波の傾斜地農業システム」(別名・忌部農業)として国連食糧農業機関(FAO)の世界農業遺産(GIAHS)に認定されるに至った。その深い意義を啓発するために始めた「ゆうゆう館」における「つるぎ学」講座は、地域の方々の協力・支援を得て発展し、今回の地域創生の一環となる「未来づくりフォーラム」を開催するに至った。世界農業遺産のモデル地域づくり、加えて「阿波忌部が剣山系の山間部で麻布を染めるため始まった。」と伝わる阿波藍の起源伝承を裏付ける活動は、枋谷京子さんによる「家賀再生プロジェクト」として実を結んだ。数々の集落再生賞に加えてJAS認証(予定)も受け、8月にはテレビ朝日「人生の楽園」で全国放映され注目を浴びた。横野健史さんを中心とする吉良の方々が、つるぎ町の原点を見詰め、再興を願い、そのシンボルとして「忌部神社」の傍に「榖の木」を植えたのだが、その榖の成長に呼応するかのように、つるぎ町が盛り上がりを見せているのは心強い限りである。
・昨年の8月、東京で國學院大學名誉教授・茂木貞純氏と対談する機会があり、その内容は著書として出版したのだが、最も感銘を受けた言葉が「廃れたるを興す」であった。古代より日本人は、戦乱や度重なる自然災害(地震・津波・洪水・火山など)で、朝廷・集落・町などが存続の危機的状況に陥った時期が度々あったのだが、そのたび、気付いた人が「廃れたら興す」という精神をもって動き出し、地域の歴史・文化・産業を再興し、次世代にまで繋げてきた。また、その精神が現在の日本を創ってきた。つるぎ町の地域創生も、その精神をもつ人が居れば、必ず叶うことであろう。終わりに、つるぎ町は、町の歴史文化の原点を見詰め直し、先人の業績を現代的な視座で再評価し、それを経済・文化・教育政策の基盤に据え、新たなまちづくりを展開するならば、再び新たな繁栄の時代を迎えるに違いない。その一途として本フォーラムを開催する意義があるのである。』


